富岡西クリニック院長/一般社団法人 金沢区三師会 会長 若栗直子さん

若栗直子院長に迫る

若栗直子院長

金沢区にある富岡西クリニックの院長、若栗直子先生にお話を伺いしました。地域の健康と医療に対する情熱を持ち続ける若栗院長が、どのような考えと取り組みをしているのか、その肖像を探ってみましょう。

Q: まず、ご出身が金沢区ということですが、その地に根付いた思いがクリニックの運営にどのような影響を与えていますか?

若栗院長: はい、ご出身も金沢区であり、地域とのつながりはとても深いです。子供の頃から、両親の歯科医院で患者さんと接する中で、地域の人々と触れ合うことの大切さを学びました。その経験が、私の医療への情熱を育む原動力となっています。地域の方々の健康と幸福を支えることが、私の使命と感じています。

Q: 富岡西クリニックの歴史と特色について教えていただけますか?

若栗院長: はい。富岡西クリニックは、私の実家が歯科医院を営む環境で育ち、医療への興味を持つきっかけとなりました。外科を専門としていますが、その特性を生かして、患者さんに寄り添う診療を心がけています。また、女性医師としての視点から、女性患者にも安心して受診していただけるような環境づくりにも力を入れています。

Q: 地域との連携を大切にされているとお聞きしました。在宅医療について、どのような取り組みをされているのでしょうか?

若栗院長: そうですね、地域との連携は非常に重要だと考えています。在宅医療にも力を注いでおり、地域の医療機関や介護施設と連携を図り、高齢者や病弱な患者さんの在宅医療を支援しています。これにより、地域の方々が自宅で安心して過ごすことができる環境づくりを目指しています。多職種が協力し合うことで、患者さんに最適なケアを提供できると考えています。

Q: 将来に向けての展望についてお聞かせいただけますか?

若栗院長: もちろんです。将来の展望としては、地域医療の連携の重要性を一層認識し、地域の医療ニーズに応えるための努力を続けていきたいと考えています。また、子育てと医療の両立が難しい時代背景を踏まえ、柔軟な働き方を提案し、若手医師の支援にも力を入れていきたいですね。

Q: 最後に、富岡西クリニックの院長である若栗直子先生の熱意について、お聞かせいただけますか?

若栗院長: 私の熱意は、地域の医療の発展に向けた思いから生まれています。地域と共に歩み、患者さんと向き合いながら、健康で幸せな日々を送っていただく手助けができることが何よりも喜びです。今後とも地域医療の発展に寄与していければと思っています。

富岡西クリニックの情報はこちら↓

富岡西クリニック – 金沢シーサイドFM (kanazawa-seasidefm.co.jp)

一般社団法人 金沢区三師会 会長 若栗直子さんにご出演いただきました。 

金沢区三師会は、昭和47年に設立された、全国でも数少ない区医師会・区歯科医師会・区薬剤師会の三つの組織が一体となって医療・保健・福祉に取り組む団体です。

この度、一般社団法人金沢区三師会の会長である若栗直子さんにご出演いただきました。

金沢区三師会では、休日診療を行っています。現在、休日の歯科診療は、横浜市内の中区(横浜市歯科医師会の運営)と金沢区のみで実施しております。

平成24年度からは、市・県からの運営費補助金が廃止されたため、他の区では歯科診療を廃止したところもありますが、金沢区では診療時間を短縮するなどの対策を講じ、10時から12時までの診療を継続しております。

施設の老朽化に伴い、横浜市内の18区の休日診療所では、建て替え計画が順次進行しております。

また、歯科診療所のユニットについても、2台中1台が故障しており、椅子のリクライニング調整ができないため、繁忙期の年末年始などは治療内容に応じて、患者様に入れ替わりで対応しております。

建て替えに伴う費用については、ウクライナ情勢による建築資材の高騰により、当初の予定よりも大幅な資金が必要となります。

特に、補助金の対象外である休日歯科診療所の新設に関しては、資金調達に困難を抱えております。

そこで、クラウドファンディングを立ち上げ、地域の皆様のご協力をお願いしています。

休日歯科・災害時の歯科診療の存続に伴う工事を実現したい(金沢区三師会 2023/06/05 公開) – クラウドファンディング READYFOR

三師会HP

一般社団法人 金沢区三師会|金沢区休日救急診療所|金沢区訪問看護ステーション|金沢区在宅医療相談室 (3shikai.org)

「ひとに健康を、まちに元気を。」Y.S.C.C.横浜田原 廉登×明治安田生命横浜支社長酒井 喜久×金沢シーサイドFM代表取締役松原 勇稀特別対談

Y.S.C.C.横浜の田原廉登選手、明治安田生命横浜支社長の酒井喜久さん、および金沢シーサイドFMの共同代表取締役である松原勇稀の特別対談が行われました。この対談では、明治安田生命がJリーグとのスポンサー契約を結んだ経緯や、各々の取り組みについて、3人の視点から語られました。

松原:実は、廉登と僕はあさひな幼稚園で幼馴染みなんだよ。17年ぶりの再会が、弊社の対談記事での出会いなんて、本当に思ってもみなかったよ。

田原:僕もまさか、勇稀とこんな形で再会するとは思いませんでした。

松原:酒井さん、明治安田生命がJリーグを応援しようと思ったきっかけは何だったんですか?

酒井:2014年のJ3リーグのタイトルパートナー契約に始まり、翌年からJ1リーグ・J2リーグも含め、全リーグのタイトルパートナーを務めさせていただいております。『Jリーグ百年構想 〜スポーツで、もっと、幸せな国へ。〜」というスローガン (地域に密着したスポーツクラブを目指し、地域の発展と青少年の育成に貢献するという思想)が、弊社の「人に健康を、まちに元気を。」という理念と一致したことが、コラボレーションのきっかけです。 横浜支社ではY.S.C.C.横浜を応援しており、私たちもチームの一員との思いで全力で応援して参ります。 また、年間数試合で冠試合をご担当させて頂いているのですが、ゲーム終了後には弊社スタッフがスタンド清掃のお手伝いさせていただいています。

田原:いつもありがとうございます。

松原:明治安田生命、Y.S.C.C.横浜、そして金沢シーサイドFMは、いずれも地域に密着し、地域の人々を元気にすることを目指していますよね。この共通の目的に向かって、3社で協力して地域の発展に貢献していきたいですね。

松原:廉登はいろんなチームがある中で、なぜY.S.C.C.横浜に入団しようと思ったの?

田原:第一に、自分がジュニアユースの時にお世話になったチームだったんですよ。

あとは、すごく専門的な話になってしまうかもしれないんだけど、Y.S.C.C.のサッカースタイルが自分に合っていると思ったんです。

松原:まだ入団して間もないと思うんだけど、プロサッカー選手になって率直にどう?(笑)

田原:明治安田生命さんに応援してもらっていることもあって、僕ら選手たちが朝の朝礼に出ることになったんだけど、まさかプロサッカー選手になってそういうところまでさせてもらえるとは思わなかったね。

酒井:弊社では、お客さまにもY.S.C.C.横浜の試合観戦のこ案内を行っており、スタジアムに行かれたお客様からの評判が本当に良いんです。地域の皆さんにとっても魅力的な機会となってるのではないでしょうか。また、田原選手が仰られたように、私どもの事務所にも選手にお越し頂くこともあるのですが、弊社のMYリンクコーディネーター(従業員)たちも、大いに盛り上がります!このような交流が、チームと地域企業、そして地域の人々との絆を深める素晴らしい機会となっていると感じております。

松原:Jリーグの百年構想には、「する」「見る」「支える」というキーワードが含まれていますね。私たちは「する」ことはできないので、「見る」人を増やすことや、「支える」役割を果たしていくことが重要だと思います。明治安田生命さんとしては、今後どのような取り組みをされる予定ですか?

酒井:日本赤十字社とJリーグ、そして弊社で、新しいチャレンジとして「シャレン(Jリーグ社会連携)で献血」という活動が始まりました。全国の献血ルームや試合当日のスタジアムで、献血活動を行っており、サポーターの皆さんにも献血のご協力を頂いております。

松原:まさに「支える」という役割を果たしている取り組みですね。私たちの会社もこの記事をきっかけに、金沢区エリアの方々が少しでもY.S.C.C.横浜やサッカーに興味を持ち、会場に足を運んでいただけるような「見る」部分を支えられたらと思っています。

田原:そうですね、こうやって記事にして取り上げてもらって、頑張らないといけないなと思いました。僕はプレーを「する」という部分で少しでも子供たちに夢を与えられたらいいなと思っています。

松原:「する」「見る」「支える」3社で担う部分は違いますが、まちを元気にするという目的に向かって、今後ともよろしくお願いします。本日はありがとうございました。

酒井、田原:ありがとうございました。

河本開発工業での働き方の魅力とは?建設業界への興味のなかった経済学部出身者の新たな発見

伊藤大河さん
2000年生まれ関東学院大学経済学部経済学科卒

一倉 萌恵さん
2000年生まれ関東学院大学経済学部経済学科卒

経済学部出身者の彼らがなぜ建設業界に興味を持ち、河本開発工業を選んだのか。働く前のイメージとのギャップに迫る。

インタビュアー: なぜ河本開発工業に入社しようと思ったのですか?

伊藤: 上の人たちとの距離が近いことが大きな理由です。僕の中で社内とのコミュニケーションというのを就職するうえでとても重要だと感じていました。社長や上司との距離が近く、事務の方々を含めた多くの人々との関わりが持てる環境であることが、私が河本開発工業を選ぶ上でのポイントでした。

インタビュアー: 就職活動して、色々な業種や業界があったと思いますが、なぜ河本開発工業に行こうと思ったんですか。

伊藤: 上の人たちとの距離がすごく近いなと感じたことが、私にとって最も大きな理由でした。社内でのコミュニケーションは非常に重要だと考えているので、社長や上司との距離の近さは魅力的でした。入社する前に丁寧な説明会や現場見学会などが開かれ、その中で距離感を掴むことができました。そこで河本開発工業が理想的な会社だと感じ、入社を決めました。

インタビュアー: また、社長との出会いや印象はどのようなものでしたか?

一倉: 私もまず最初に社長と知り合いましたが、社長の人柄がお父さんのようであり、本当に家族のような会社だと感じました。その出会いや印象が、私が河本開発工業に参加したいと思った理由の一つです。また、建設業界は私が本来勉強していた経済学部とは異なる分野でしたが、建設のプロセスを見て、物ができ上がる様子に魅力を感じ、やりがいのある仕事だと思いました。それが河本開発工業への就職を決めた要因となりました。

インタビュアー: 二人とも経済学部出身ですが、元々建設業に興味があったのですか?

伊藤: 正直なところ、建設業に対して特別な興味はありませんでした。

一倉: 私も同様です。

インタビュアー: では、働く前の建設業についてのイメージを教えていただけますか?

伊藤: 正直に言うと、どんな仕事でも「きつい」というイメージがありました。建設業界に関しても同様でした。

一倉: 私は実際に工事を行っている作業員の存在しか知らなかったので、施工管理という業務があることを知りませんでした。初めて社長からお話を聞いたときに、事務作業やデスクワークなどもあることを知りました。建設業界は男性の仕事で、体力的に男性よりも劣る私には向いていないと思っていましたが、実際には私にもできる仕事があることを知り、興味が湧きました。

インタビュアー: 実際に働いてみて最初に抱いていたイメージとは違いましたか?

伊藤: 実際に働いてみると、最初に抱いていたイメージとはまったく違いました。建設業界は若手に対してとても優しいと感じています。私は「きつい」イメージの中に、建設業界では先輩方が怖い存在というイメージがありました。しかし、実際に働いてみると上司の方々も非常に丁寧に教えてくれるんです。

一倉: 私も最初に思っていたよりも女性が少ない環境だろうと感じていましたが、実際に働いてみると、先輩方の話を聞いてみると、だんだんと働きやすい環境になっているように感じます。例えば、女性用のお手洗いの設備などが整備されているなど、配慮されている点も増えてきています。

働く人が幸せに。河本開発工業株式会社の働き方

~河本開発工業株式会社 代表取締役 河本 考司×金沢シーサイドFM 共同代表取締役 松原勇稀~

河本開発工業の社長、河本 考司氏が、関東学院大学からの新卒学生2人の採用や会社の業務内容について、お話しいただきました。学生との接点や大卒学生に対する期待、コミュニケーションの重要性、そして会社の福利厚生についても詳しく明かされました。河本氏は、健康経営への取り組みや、従業員の幸福を大切にする姿勢についてお伺いしました。

松原:今年、関東学院大学卒業の学生2人が貴社に入社されましたね。毎年、大学生を受け入れているのですか?

河本:過去に何度かあったかもしれませんが、近年では初めてのことです。

松原:なるほど。入社の前から二人の学生との接点を持っていたそうですね。

河本:はい、入社の1年前くらいから、うちの会社の現場見学会や建設業としての仕事の内容を説明し、学生とコミュニケーションを取っていました。彼らが本当に河本開発工業を魅力的に感じてくれれば、ぜひ入社してほしいという思いで、二人と向き合っていました。

松原:学生にとっては嬉しいですよね。具体的にどのような業務を行っているのでしょうか?

河本:弊社では、幅広い事業を展開しています。海関係の工事や解体工事、道路の舗装工事、下水工事など、湾岸保険工事実績No.1、あらゆる工事を行っています。特に得意としているのは海関係の工事です。

松原:なるほど、興味深いですね。では、大卒の学生にはどのような役割を期待しているのでしょうか?

河本:大卒の学生には、技術職の仕事を任せたいと考えています。技術職というと少し重たいイメージがありますが、現場全体を総合的に管理できる人材に育ってもらいたいです。

松原:新入社員の一倉さんから、社長がお父さんのようだからという理由もあって入社されたと聞きました。社員とのコミュニケーションにはどのようなことを重視されていますか?

河本:年齢の差があっても、いつでもオープンに意見を交換できる環境がないと、つまらないですよね。相手の思いを言ってもらわないと、僕らも分からないし、僕たちが言わないと相手も分からないですから。

松原:なるほど、コミュニケーションを大切にされているのですね。

河本:そうですね。フレンドリーな雰囲気でコミュニケーションを取らないと、会話は生まれてきません。それが社員には嫌がられているかもしれませんが(笑)

松原:嫌がられてないと思いますよ。一倉さんと伊藤さんは大学で同じゼミだったので、お父さんのように河本社長のことを話してましたよ(笑)。

河本:そうですよ(笑)。建設業界は以前は”3K”というイメージがありましたが、現在では女性も活躍しています。現場で物を持って作業するわけではなく、いわゆる施工管理職に就くこともできるのです。

松原:それは興味深いですね。では、会社の福利厚生について教えていただけますか?

河本:当社では健康経営にも力を入れています。これは他社との差別化にもなっていると思っています。例えば、毎年10万円を支給している人間ドックや、食事の補助として毎月3800円の食事補助などがあります。また、毎月12000円分のパーソナルトレーニングが利用できるようになりました。さらに、河本開発工業が加入しているチョコザップや横浜駅の岩盤浴(SPA EAS)も、社員全員が福利厚生として利用できるようにしています。

松原:福利厚生充実しすぎじゃないですか…

河本:みんなが不健康になってからでは遅いと思うんです。健康なうちに自分自身の体に投資することは必要です。それが会社の成長にも繋がりますし、私の目標は河本開発工業で働く職員が幸せに暮らしてくれることです。だから、会社として皆さんの健康を必ず守るという気持ちを持っています。

金沢区の日応援 リクエストナイト3週連続企画

「リクエストナイト」は、毎週日曜日の20時から22時に放送されています。この番組では、毎週テーマを設定し、そのテーマに関連したリクエストとリスナーさんから寄せられたエピソードを紹介しています。4月30日から5月14日までの3週間は、「金沢区の日応援企画」ということで、毎週テーマを設けてリクエストを募集しました!今回はその中でもリスナーさんからのベストお便りをピックアップしました。

4/30「この町に似合う曲」

第一弾 【金沢区の思い出の場所、教えてください!】

ラジオネーム 神仏習合 リクエスト 海その愛/加山雄三

金沢区の思い出は、まだ埋めたてられる前の海です。子どもの頃友人と 海水浴に行きました。海の家が立ち並ぶ光景は壮観で、特におでんが大好きで、よく食べたものでした。

ラジオネーム カッチ先輩 リクエスト フレンズ/REBECCA

金沢区の思い出、ほんと沢山あるのですが、私の高校時代の話です。 シーサイドラインにヤマダ電機さんありますよね? ちょうどそのすぐ裏側辺りに高校があったのご存知ですか? 東金沢高校という学校があったんです。

私はその通称「トウキン」の卒業生なんです。 もうだいぶ前ですが統合され、建物自体も取り壊され、今は校舎もないんです。 高校って学生時代の私にとって1番楽しい時期で、そ の周辺を通るとあの校舎や校庭、教室、 そしてクラスメイトの顔を思い出します。 当時はシーサイドラインもなかったので富岡駅から約30分歩くのですが、 逆にその長い通学を当時好きだった女の子や、大勢の友達とおしゃべりしながら歩くのが楽しかったんです。 思い出の母校がなくなるのは寂しいものですが、大切な思い出はずっと消えませんね。

リクエストはその当時よく聞いていたレベッカのフレンズをお願いします。

ラジオネーム よしよし リクエスト  誰かの為に/圧最愛夏

結婚してこの金沢区にきました。 最初は知り合いもできず、家にひきこもるなど不安でした。 子どもが生まれ公園にでると、子どもの年齢関係なく色々ママ達と 出逢うことができ、 沢山の方々と友達になりました。 川がすぐ横にあるので、魚釣りをし たり、ボーリングや金沢区にある美味しいお店にでかけたり。 常に大勢の家族で、楽しく 子育てを乗り越えてきました。 みんな、 自分の子のように、 可愛がってくれました。 自分 が留守の時、 困った時、 沢山のママ達が助けてくれ、感謝してもしきれないくらい、素敵な方々と出逢いました。 息子2人はすでに成人していますが、 優しくスクスクと子どもが成長できたのも、この金沢区に住んでいる優しい方々に出会えたからだと、今でも感謝し ています。 今は、育児教室のお手伝いをさせていただきながら、自分がみんなからサポー トしてもらったことを少しずつお返ししたいと思っています。 この金沢区に住めて本当に 本当に幸せです。 私がお手伝いすることで、1人でも多くの方が喜んでいただけるように、 今も変わらず友達でいてくれるママ達や、これから出逢う誰かのために、頑張っていきた いと思っています。 この曲は、そんな私の想いがつまった曲です。 是非聞いてください。

金沢シーサイドFMスタッフ:リクエスト曲かけられなくてごめんなさい。(´;ω;`)

ラジオネーム 隊長 リクエスト ハナミズキ/一青窈

日の出前の白み始めた明かりが高い建物の影を水面に映しだす光景がきれいです。

時間と天気が上手く合わないと観ることができませんが。 長浜公園を一周し、 戻って来て 富岡八幡宮にお参りし、 総合公園を端から端まで歩いて帰って来るのが早朝ウォーキング のコースです。 1万7、8千歩です。 時間は2時間弱。 しょっちゅう短縮コースにしてます が。 ずっと公園の中だけを歩けるなんて、良いところに住んでるなあとおもいます。 桜は横浜緋桜、 大島桜 ソメイヨシノ、 あけぼのさくら、 山桜、 八重桜と長い期間楽しむことができる散歩道で す。 桜が終わった頃に舟溜まりのそばに、 そっと咲くハナミズキがかれんで綺麗です。 毎年楽しみにしてます。

5/7「この町に似合う曲」

第二弾【金沢区の好きなお店、教えてください!】

ラジオネーム yokohamakirakira リクエスト my home town/小田和正 金沢区の好きなお店 「友&愛」

小田和正さんの実家すずらん通り商店街の小田薬局 2F にある喫茶店です。 小田和正さん の生まれ育った実家部分の一部です。

お店には、お客様に守っていただくルールが表示されています。 小田和正さんの部屋だった部分は、この辺りとか小田和正ファンは想像してこられます。

曲は、セルフカバーもしています。 金澤公会堂のオープニングセレモニーで、サプライズゲストとして歌われた曲でもあります。

小田和正さんのコンサートが、昨年行われましたが、今月3日から追加公演のツアー「今度こそ 君と‼」も始まっています。

ラジオネーム ロッキーメロン リクエスト 365歩マーチ/水前寺きよこ
好きなお店 シーサイドライン産業振興センター駅下車のウイッシュポン工場直売店
甘くて美味しい物が格安で販売されて大変お気に入り。 特に焼き菓子の切り落としがお買い得です。 皆さんも是非一度お買い物してみましょう。 笑顔で元気になれるお店ですヨ
そこで、皆んなを元気にしてくれる横浜金沢区にお似合いの曲をリクエストします。 金沢区で毎日元気に過ごしましょう
金沢シーサイドFMスタッフ:この時はリクエスト曲をかけられませんでしたが、「365歩マーチ/水前寺きよこ」のCD入荷しました!

ラジオネーム かなとみ リクエスト singin’4U
こんばんは 自分の金沢区の好きなお店は、 能見台にある焼肉屋 「荒井屋」さん。
厚切りタンやご飯の富士山盛りなど。
年に数回ですが利用させて頂いています。
中学時代の同級生の旦那さんのお店なんですがね。


5/14「この町に似合う曲」
第三弾 【この夏 金沢区で行きたい場所、教えてください!】

ラジオネーム 肉汁の滝 リクエスト 24karats STAY GOLD/EXILE
まずは雨の中、スタッフの皆様、金沢区の日の取材お疲れ様です😆🎵🎵
ずっと聴いていました!!
昨夜は、母と一緒に、 「南横浜ビール研究所」 と 「そば処どん」ではしご酒(笑)
母の日のプレゼントのつもりでおごりました〜🎶
残念ながら、 ボタンちゃんには会えなかった・・・ 😭
金沢区と言えば、 称名寺の裏にある 「称名寺市民の森」 で、 夕涼みをしながら金沢区の夏の景色をみたいです!

ラジオネーム しゅんくん リクエスト 乙女座 宮/山口百恵
湯山さんは、この夏に海苔を買いたいとのことですがコーヒーはお好きですか?
先日、クラブシーサイドFM 加盟店の「双実堂コーヒー」さんに行ってきました!様々な珍しい品種のコーヒー豆を取り揃えているのですが、自分のような初心者にも親切 丁寧に接客して下さるのでとてもオススメのお店です!
リクエスト曲は、この夏、コーヒー片手に夜空を見ながら聴きたい曲、山口百恵さんの「乙女座宮」をよろしくお願いします。 本当に大好きな曲なんです!

ラジオネーム いくんぼう リクエスト 星月夜/由薫

先日、家内と洲崎六丁目の釣り船荒川屋に併設する 「SAND FISH」に伺いました。 少し前に、ある釣り番組で紹介していましので、お伺いする気持ちでいました。 そもそも約50年前、金高の生徒だった頃から荒川屋釣船店がありましたが、陸っぱりの私はお世話になりませんでした。 時を経て、地魚を食べさせていただけるサンドフィッシュ に出会えて、緑の深さを感じ入るところです。 地魚なので、華々しさはありませんが、 そ れなりの味わいがありました。 当日、いただけなかったのが、キスのお刺し身です。 これは、一般でもなかなか口にできない鮮度が勝負の魚で、 ある時とないときがあり、 運次第 です。 なんとしてもいただきたいお魚です。 お店の感じは、南の島をイメージしており、 かかっている音楽もポップものです。 君ヶ崎から洲崎を旧道は、懐かしい景色を呼び起こ してくれる大好きな場所です。

江戸清ブランドの真髄 ── 高橋伸昌会長が語る安心と安全の価値

ブランドとはお客様との約束であり、安心と安全なものが提供されているかを表すものです。株式会社江戸清の代表取締役会長である高橋伸昌氏が、江戸清ブランドの真髄について語りました。美味しさだけでなく、安全性と心の安心感を重視した「もの作り」を目指す姿勢について、インタビューしました。

── 金沢区に本社工場ができた経緯 ──

元々、我々は南区の井戸ヶ谷に工場を構えていました。この場所は駅にも近く、ますます住宅地が広がっていったんですよ。しかも、トラックの出入りも頻繁で、地域の人を悩ませることも増えてきたんです。同時に、事業も拡大してきたため、2002年に工場を移転することにしました。

実は、幸浦の本社工場は元々倉庫会社が所有していた建物だったんですよ。だから、建物自体は頑丈で、更に食品工場であったこともあり冷凍冷蔵庫も完備されていました。この工場の一番の利点は、近くに水道処理施設があることです。つまり、大規模な災害が発生した場合でも、ライフラインが保たれるというわけです。また倉庫会社の建物だけあって、しっかりとした構造を持っています。工場が稼働すれば、災害時でも動き続けることができるのは、この建物の強みなんですね。

── 江戸清の本社工場ブタまんの看板の秘話 ─

江戸清の本社工場の壁面、看板デザインについてですね。実は、私がそのデザインを手がけました。

本社工場の看板は、誰が見てもすぐに分かるようなものにしたかったんです。龍がお饅頭を2つ持っているイメージで、1つは江戸清のお饅頭を表しています。そしてもう1つは、かつて私が経営していた飲食店であるりーろんのお饅頭なんです。りーろんは以前、東京の一角にある飲茶専門店として営業していました。最初の2年間で黒字にすることができたのですが、3年目にやむなく売却することになりました。自分のお客さんがお店に来るときは、私がお店に出向き直接お客様に感謝の気持ちを伝えたかったんです。ただ、その経営形態だと私は東京と横浜の往復で、深夜まで働いて、朝からまた仕事という生活スタイルが続き、体調を崩してしまう可能性があったため、お店を売却することにしました。そのまま看板には2つのお饅頭を持った龍のデザインにしています。

── 江戸清ブランドとは ──

ブランドっていうのはお客様との約束なんですよ。安心安全なものが作られてるかということです。例えば味の素の商品を食べるとき、誰も心配しないと思います。でも逆に、全く知らない安い商品は心配ですよね。「ほんと、平気なの?」「どんな管理をしているの?」と疑問に思うものです。これがブランドの価値なんです。

もの作りというのは、美味しいものを作ることだけではなく、安全性も非常に重要な要素です。それに加えて、心から安心できるかどうかも大切なのです。心の問題というのは、一度クレームを起こした会社に対して「あの会社は平気なのかな?」と疑念を抱くこともあります。たとえ基準を満たしていても、心の問題があると消費者は買わないこともあります。

ですから、先ほど言ったように安全と安心を満たすブランドになることが大切であり、それはお客様との約束です。私たちはそうした価値を持つもの作りを目指しています。

── 江戸清のブランド展開戦略 ──

私たちはナショナルブランド(NB)の拡大に力を入れています。現在、中華街で販売している商品(中華饅頭)は1個600円という価格帯です。これは一般の方々が日常的に購入する価格ではありません。そのため、これを単純に外に持ち出して販売してもなかなか売れるものではありません。私たちが想定しているのは、中華街に訪れた際に食べたいと思ったり、お土産として持ち帰りたいと思ったりするシチュエーションで、それに合わせて商品を提供しているのです。しかし、もっと多くの方々に手に取っていただきやすく、江戸清の魅力を感じていただくために、NB商品の展開を行っています。例えば、百貨店やスーパーマーケットなど様々な場所で江戸清の名前でNB商品が販売されています。ですから、お客様がいつでも手に取っていただける接点を広げていくことが私たちの目標です。

──株式会社江戸清代表取締役会長   高橋 伸昌の挑戦と苦労とは ──

挑戦か。もう、あまりにも多すぎて、分からないんだよね。(笑)自分が社長になったのは、2000年。その数年後に「狂牛病」として知られる「BSE」という病気が発生しました。牛がテレビ画面でガクッと倒れる映像が流れたのを鮮明に覚えています。それまでは、家畜の疾病の問題はほとんどありませんでしたので、この事態には非常に困惑しましたね。

その後も、「狂牛病」や「口蹄疫」、「鳥インフルエンザ」といった食肉に関連する問題が頻繁に発生しました。更に、「中国の毒餃子問題」や「段ボール肉まん問題」など、食品にまつわる問題が起きました。こうした問題が発生するたびに、売り上げに大きな変動が生じます。例えば、「狂牛病」が発生すると、牛の売り上げは急激に減少しますが、その代わりに豚や鶏の売り上げが増えるのです。ここで重要なのは、豚や鶏の商品開発を適切に行い、需要に応じることです。もし豚に問題が発生した場合、鶏の需要が高まり、また牛の売り上げも少しずつ回復するかもしれません。このため、鶏の市場をしっかりと押さえ、原材料の調達から製品開発まで、常に戦闘態勢を整えておかなければなりませんでした。「段ボール肉まん問題」が発生した際は、売り上げが一時的に80%も減少しました。これは風評被害の一例ですね。後になって、その肉まんは段ボールで作られたというのは嘘だと判明しました。メディアの取り扱いによって、どの産業でも同様に、人々の心理は大きく揺れ動くのです。食品に関連する不祥事や事故、そして家畜の疾病問題により、企業は常に左右されるのです。それを安定的にするためには、どのような対策を講じるべきか、それが一番難しい課題です。

牛が苦境に立たされる場合、豚や鶏の商品構成を見直し、組み替えて企業の存続を図る必要があります。たとえば、もし豚まんが「段ボール肉まん問題」の影響で一時的に売り上げが80%も減少するのであれば、他の部門でその減少分を吸収する必要があります。

これらの体制作りは苦労の連続でした。

そして、やって来たのがコロナです。感染症の影響で、牛、豚、鶏といった全ての部門が打撃を受けました。以前の問題とは異なり、今回は市場全体の縮小や消費の低迷といった深刻な状況に直面しました。まるで関東大震災や横浜大空襲のように、街が一つなくなるような状況で、企業は容易に消え去ってしまう世界です。

この影響を最初に受けたのは3月ごろであり、その時点で私は社長から会長となり、新しい社長が就任していました。その際に私は彼に対して、「この会社をどのような形で進めたいのか」と尋ねました。彼は現状のまま残したいとの意向を示しましたが、私は「経営とは時代に対応する技術」であり、緊急の状況に直面した場合には会社の根本的な見直しを行う必要があると伝えました。

私は彼に10の課題を与え、翌年の4月までにそれらを達成するよう指示しました。彼は全ての課題を達成しました。その結果、江戸清の存続の道が切り開かれたのです。

そして、コロナを乗り越えたことで、江戸清としての力が大幅に向上しました。コロナの影響で従業員を削減せざるを得ない状況に陥りましたが、驚くべきことに、一人一人が自分自身の能力を最大限に引き出すことができることが分かりました。以前は彼らの力は30程度だと思っていましたが、実際には60や70の力を持っていたのです。